今日は娘の卒園式。
この年になっても卒業シーズンになると思い出す事。それはカレッジリング。
自分がカレッジリングやハイスクールリングなるものの意味がわからず
何だろう?と気になっていた中学生時代。
クールスが好きでこの曲でカレッジリングなるものの存在を知った。
左の指にはカレッジリング。うーん。ロックンローラーはこの指輪をしなきゃならないと考えていた。
中2の時に僕は、アメリカ本土西海岸のロサンゼルス郊外のコビナという町に行った。ハーレー乗りにはおなじみのダイナのある町。現在ダイナはグレンデールに移ったけど。カルチャーショックなんてもんじゃ言い表すことのできないほどの衝撃だった。
その頃の話はまたいつか。
帰国して普通の中学生になった自分。
ミュージックライフという洋楽雑誌を仲間といつも読んでた。邦楽はダサい。
意味もわからないのに「ロックだぜ」みたいな感じ。アバなんか聞いてたら仲間に馬鹿にされたもんです。
でも他の仲間の所に行くと、八神純子のアルバムがあったりして。
仲間内でそんな時にお決まりのセリフが
「借り物なんだこれ、聞きたくないんだけどね」
やっぱロックだよな。ロックはイイねやっぱ。しかしストレイキャッツがデビュー。ロックだロックだと騒いでいた自分たちは、戸惑いながらも皆そのカッコ良さにしびれた。ロカビリーだぜロカビリー。誰もが認めた。
何もかにもが情報が不足してたその当時に、ポパイやホットドッグプレスが創刊された。教科書に隠してとにかく読み込んでいた。
いろんなものが情報不足でごちゃまぜだった時代に、この雑誌はアメリカに関するいろんな真実の情報が満載だった。
カレッジリングとは大学を卒業できたら授与されるもの。
高校を卒業するとハイスクールリングが授与または購入できるもの。
ハイスクールリングは男の子が彼女に、つまりステディーガールにプレゼント。もらった彼女はそれをネックレスにぶらさげる風習。
つまり学生服の第二ボタンに当たる感覚と知った。
当時の僕は意味がわかるまで何個も買った。というのは青森にチョッパーの製品を扱う店が出来たから。学校にしていっては先生に没収された。でもまた買った。たまに紛失。でもまた買った。盲目的に買った。衣類やグッズ。実物がそこにあるから。
時を同じく、クリームソーダやペパーミントなどなどカラーのカタログもない時代。白黒の3枚のカタログを誰かがもってくれば皆で眺めていた。
教科書忘れても家には戻らないけれど、財布とクシはけつに入れ忘れると家に戻った。
やがて秀光さん本人やメンバーやってきた日には、学校をさぼってまで仲間と行った。
ボルテージもテンションも上がりまくってた。いろんな思いがあった時代。そんなこんなだった。
やがて皆中学から高校生。
この頃はまたいつかとして。
大学の卒業が近づいてたある日、自分の大学の生協にぽつんと見慣れないブースが出来ていた。カレッジリングのブースだった。ジャスティン社のブースだった。
買わなければならない義務がある訳ではなかったが、親に連絡して買わなきゃならものと説得してゲットした。とんでもないやつだな自分はと感じながらも。やっとファッションではなく本物を手に入れた。
卒業した1989の数字や選考した学科の刻印や大学名や何もかもが本物。
卒業生の自分だけにしか渡されないもの。いろんなものが混沌としてた時代から解放されかけ始めた時代。
ディスコにマハラジャ、ケントス、ヤンキー、ロックンローラー、フィフティーズ、原宿、渋谷、アイビーからトラッド、デザイナーズブランド。。。
いろんな混沌から卒業できた。
いろんな意味で卒業した1989年。70年代80年代の終わり。
とかなんとかいってもいまだに同じ事をして続いてる、何もコアな部分は変わっていない、そんな自分。
けど子供たちは日々進化。
自分はといえば退化している気分。
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